ホーム > 青森りんごの紹介 > 青森りんごの歴史:青森りんごの歴史年表

りんごの原産地は、中央アジアの「コーカサス山脈」と、中国の「天山山脈」を中心とした山岳地帯と考えられており、ここから、世界各国へ伝播しました。
私たちが現在食べている西洋りんごは、明治4年(1871)に日本に導入され、青森県へは明治8年(1875)春、当時の内務省勧業寮から3本の苗木が配布され、県庁構内に栽植されたのが青森りんごの始まりです。
その後同年秋及び翌9年春と計3回にわたって数百本の配布をうけて篤農家に試植されたました。
これよりさき明治7年に弘前市の私立東奥義塾が招いた米国人宣教師ジョン・イング師が翌年の12月25日キリスト降誕祭の際、当時の教え子や信者たちにりんごを分与したのが西洋りんごが本県に紹介された最初といわれています。当時の菊池九郎塾長はこれを自宅の庭に播種し、後年、別の台木(だいぎ)に穂木(ほぎ)を接木(つぎき)したのが本県の育種及び繁殖の発祥といわれています。以来現在で127年を経過しましたが青森りんごの今日までの歴史をひもといてみましょう。
| 年次 | 歴史的事項 |
|---|---|
| 明治8年(1875) | 4月内務省勧業寮から本県県庁にりんご苗木3本配付。 米国人宣教師ジョン・イング師が、キリスト降誕祭で教え子や信者達に分与した「りんご」が西洋りんごとして初めて本県に紹介される。 |
| 10年(1877) | 弘前市在府町養蚕家山野茂樹が屋敷畑(現在の弘前大学医学部)に試植したものに初めて結実し、8月15日摂取。 北海道開拓使農場で接木法を習得した菊池楯衛らが「化育社」を結成し、苗木の生産・販売を行った。 |
| 13年(1880) | 明治8年4月に県庁構内に試植したりんご及び各篤農家に配付した苗木はいずれも結実。 |
| 17年(1884) | 弘前の旧津軽藩士族で1ヘクタール以上の果樹栽培者11名で「果樹会」を結成。 |
| 19年(1886) | 藤崎村(現在の藤崎町)佐藤勝三郎社長による「敬業社」が生まれ、7.5ヘクタール開園。 |
| 20年(1887) | 黒石郊外山形村(現在黒石市)興農株式会社誕生、10ヘクタール開園。これが現在の青森県りんご試験場。 |
| 21年(1888) | 弘前市本町に津軽産業会が生まれ、大正4年まで毎年物産品評会開催。 |
| 23年(1890) | 盛岡市まで鉄道開通。津軽産業会が「苹果要覧」を出版して栽培出荷販売等の指導に当たる。 |
| 24年(1891) | 上野、弘前間鉄道開通。 |
| 27年(1894) | 京都博覧会で受賞者を出し「青森りんご」の評価高まる。青森、弘前間鉄道開通。 |
| 32年(1899) | 青森の果実商堀内喜代治、ロシア領ウラジオストック港へ直輸出。 |
| 33年(1900) | モニリア病大発生、中郡清水村(現在弘前市清水)で皆無作。 |
| 34年(1901) | りんご酒醸造販売。 |
| 35年(1902) | 綿虫、シンクイ虫、腐らん病等病害虫発生。明治初期の栽植樹、病害虫のため伐採。 |
| 36年(1903) | 県農事試験場に害虫係が設けられ、りんご害虫の試験が開始。 |
| 38年(1905) | りんご袋掛けが始められ、恐慌を切り抜け、再び増殖時代に入る。 |
| 39年(1906) | 津軽林檎輸出組合設立。上海に直輸出。 |
| 40年(1907) | 産業組合法によるりんご生産購買販売組合が設立、後年のりんご販路拡張の基礎となる。 |
| 41年(1908) | 青森、神戸間でりんごの冷蔵貨車輸送試験を実施。津軽を中心にモニリア病が大発生。 |
| 44年(1911) | 県農事試験場に病理部設立。販路拡張費補助規程設定、海外輸出者に県が補助奨励。 |