クリスマス飾りの歴史に欠かせなかったりんごですが、クリスマスシーズンの長いヨーロッパにおいて、生のりんごを長期間ツリーに飾るにはいろいろ不便がありました。そこで19世紀前半には、りんごを模したガラスボールで代用するようになりました。
ドイツ東部・ラウシャは、農耕や牧畜も難しい山岳地形に位置する小さな町で、当時からケイ酸が採掘されていたので、ワイングラスや実験器具や義眼などを作っていたのですが、クリスマスツリーが一般化してきたことに伴い、ガラス製のクリスマスボール「クーゲル(Kugel)」を生産し始めました。
以前からの高い技術で、りんご大のガラスボールの内側を硝酸銀でコーティングしたものを作ったところ、軽さと輝きが素晴らしく、りんごの赤い色をはじめ様々なバリエーションが生まれ、りんごの代用として重宝されました。クリスマス文化とともにラウシャのクリスマスボールは人気を博し、第一次世界大戦の頃までには、ハンブルグを経由してヨーロッパのみならずアメリカへも大量に輸出されるようになりました。
第二次世界大戦がはじまるまではラウシャのガラスボールは世界市場を独占していましたが、次第にドイツの産業力の衰退とともに、ガラスボールの生産はアメリカや日本や中国へと移っていきました。
今では、プラスチック製のオーナメントボールがお馴染みですが、由来を辿れば、生のりんごだったのですね。