青森りんごのあゆみ
明治時代
| 1875年 |
青森県に西洋りんごの苗木が届く 4月、国から提供された3本の苗木が青森県庁構内に植えられる。 |
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| 1875年 |
青森県民、初めてりんごを目にする アメリカ人宣教師が、クリスマスに教え子や信者にりんごを分け与える。(西洋りんごが青森県に初めて紹介される) ※宣教師は宗教の教えを広めるために活動する人のことです。特に、キリスト教の宣教師は世界各地で活動を行っています。 |
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| 1877年 |
初めてりんごが実る 8月、弘前市で西洋りんご3個がはじめて収穫される。 |
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| 1899年 |
りんご輸出はじまる 青森の果実商がロシア領に青森りんごを直輸出。 |
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| 1905年 |
りんご袋かけが本格的に始められる ※りんごの袋かけは主に病害虫対策として始められましたが、果皮がなめらかになり色付きが良くなること、貯蔵性が高くなることなどから、現在でも青森県のりんご産業になくてはならないものです。 |
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| 1906年 |
収穫量全国1位 青森りんごの収穫量が全国1位となる。 |
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大正時代

りんごの研究が本格化したよ
| 1917年 |
青森県の風土に合ったりんご作り 県の研究機関にりんご部門ができ、本格的なりんごの調査研究が始まる。 |
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昭和40年(1965)まで

戦争の混乱から、力を合わせて復興したよ
| 1934年 |
りんご専用列車の運行 りんご専用列車が初めて運行され、青森県から36時間かけて東京にりんごを運ぶ。 ※現在はトラック輸送がメインですが、かつては貨物列車がりんごの流通を支えていました。戦後は社会情勢の混乱で貨車の手配が難しくなったことから、その対策として「青森県輸送対策協議会」(現在の青森県りんご対策協議会)が設立されました。 ![]() |
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| 1945年 |
りんご園荒廃の危機 戦争でりんご畑が荒れ果て、収穫量全国1位ではなくなる。 |
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| 1946年 |
生産者団体ができる りんご園を守るため生産者が立ち上がり、団体を作る。 |
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| 1947年 |
再び収穫量全国1位に。 |
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| 1962年 |
「ふじ」品種登録 当時藤崎町にあった国の研究機関が育成した「ふじ」が正式に命名され品種登録。 |
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| 1964年 |
CA冷蔵庫完成 日本で最初の農協共同による大規模なCA冷蔵庫完成(弘前市) |
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昭和40年(1965)以降

品種更新が進んだよ
| 1968年 |
「山川市場」起きる 1968年当時の主力品種「国光」「紅玉」が売れなくなり、行き場のないりんごが山や川に大量に投げ捨てられる。これをきっかけに新しい品種に変える動きが… |
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| 1971年 |
新たな栽培方法の登場 「わい化栽培」を広げるために動き出す。 ※わい化は従来より樹のサイズを小さく抑えて育てる栽培方法です。コンパクトな樹にすることで管理がしやすくなるなどのメリットがあります。 |
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| 1974年 |
青森県りんご百年記念式典を行う。 |
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| 1982年 |
「ふじ」一強時代へ 「ふじ」がデリシャス系を抜き、初めて生産量トップになる。 |
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平成元年以降

国内生産シェア6割、青森りんごブランド世界へ
| 1991年 |
りんご台風襲来 台風19号により、収穫前のりんごの多くが落ちる。 |
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| 2001年 |
11月5日を「いいりんごの日」とすることを発表。 |
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| 2002年 |
輸出拡大 台湾がWTOに参加し、台湾へのりんご輸出が伸びる。 ※WTOは世界貿易機関の略称。貿易のルールを決め、国際貿易を円滑にするための国際機関です。 |
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| 2015年 |
販売額1000億超の時代へ 平成26年産りんごの販売額が16年ぶりに1000億円超えを達成。国産りんごの輸出量が初めて3万トンを突破。 ※歴代1位記録は販売額が令和5年産、輸出は令和4年産。 |
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| 2023年 |
平均気温が過去最高 8月の平均気温が過去最高を更新。高温障害多発も販売額は好調を維持。 |
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| 2025年 |
青森りんご植栽150周年 青森りんごの生産国内シェアは約6割。 ※高密植栽培はわい化よりも樹の本数を多く(蜜に)植える栽培方法。樹の幅がわい化栽培よりコンパクトで作業効率が良くなります。果実をすぐにならせることができる特殊な苗木を植えるため、樹を植えてから果実を収穫できるようになるまでの期間が短く、収穫量が多くなります。 |
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3本の苗木から始まり、りんごの一大産地になったよ