あおもりりんご for キッズ

青森でりんご作りが(さか)んになったのはなぜ?

いま(わたし)たちが食べているりんごは、西洋(せいよう)りんごです。「西洋」とはヨーロッパやアメリカのことです。西洋りんごが日本にやってきたのは、明治時代(めいじじだい)です。江戸時代(えどじだい)から明治時代に()わったとき、日本は国を(ゆた)かにしようと、外国から色んなものを()り入れました。その中にはりんごをはじめとする果物(くだもの)苗木(なえぎ)もありました。
国から全国(ぜんこく)配布(はいふ)されたりんごの苗木は、青森県にも明治8年(1875年)に3本(とど)けられました。それを青森県庁(けんちょう)()えたのが青森りんごの(はじ)まりです。

りんごの苗木が青森県へ

ちょうどそのころ、江戸時代に武士(ぶし)だった人たちが明治時代になり仕事(しごと)をなくしていました。そこで、(もと)武士たちに仕事を(あた)えようということで、その人たちを中心にりんご作りがはじまりました。

武士

りんごの苗木は全国に(くば)られましたから、各地(かくち)でもりんご栽培(さいばい)は始まりました。
では、なぜ青森県がりんごをたくさん作るようになったのでしょう?

それには、元武士で青森県庁の職員(しょくいん)をしていた「菊池楯衛(きくちたてえ)」さんの(はたら)きがありました。菊池さんは県外(けんがい)の色々なところに行ってりんごについて勉強(べんきょう)し、青森県の気候(きこう)がりんごを作るのに()いていることを(たし)かめました。
そして、多くの人々にりんごの栽培技術(ぎじゅつ)を広めました。菊池さんが()なければ、青森県は今のようにりんごをたくさん作るようになっていなかったかもしれません。

菊池楯衛

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