青森りんごの紹介

青森りんごの歴史年表

りんごの原産地は、中央アジアの「コーカサス山脈」と、中国の「天山山脈」を中心とした山岳地帯と考えられており、ここから、世界各国へ伝播しました。
私たちが現在食べている西洋りんごは、明治4年(1871)に日本に導入され、青森県へは明治8年(1875)春、当時の内務省勧業寮から3本の苗木が配布され、県庁構内に栽植されたのが青森りんごの始まりです。
その後同年秋及び翌9年春と計3回にわたって数百本の配布をうけて篤農家に試植されたました。
これよりさき明治7年に弘前市の私立東奥義塾が招いた米国人宣教師ジョン・イング師が翌年の12月25日キリスト降誕祭の際、当時の教え子や信者た ちにりんごを分与したのが西洋りんごが本県に紹介された最初といわれています。当時の菊池九郎塾長はこれを自宅の庭に播種し、後年、別の台木(だいぎ)に 穂木(ほぎ)を接木(つぎき)したのが本県の育種及び繁殖の発祥といわれています。

年次 歴史的事項
明治8年(1875) 4月内務省勧業寮から本県県庁にりんご苗木3本配付。
米国人宣教師ジョン・イング師が、キリスト降誕祭で教え子や信者達に分与した「りんご」が西洋りんごとして初めて本県に紹介される。
10年(1877) 弘前市在府町養蚕家山野茂樹が屋敷畑(現在の弘前大学医学部)に試植したものに初めて結実し、8月15日摂取。
北海道開拓使農場で接木法を習得した菊池楯衛らが「化育社」を結成し、苗木の生産・販売を行った。
13年(1880) 明治8年4月に県庁構内に試植したりんご及び各篤農家に配付した苗木はいずれも結実。
17年(1884) 弘前の旧津軽藩士族で1ヘクタール以上の果樹栽培者11名で「果樹会」を結成。
19年(1886) 藤崎村(現在の藤崎町)佐藤勝三郎社長による「敬業社」が生まれ、7.5ヘクタール開園。
20年(1887) 黒石郊外山形村(現在黒石市)興農株式会社誕生、10ヘクタール開園。これが現在の青森県りんご試験場。
21年(1888) 弘前市本町に津軽産業会が生まれ、大正4年まで毎年物産品評会開催。
23年(1890) 盛岡市まで鉄道開通。津軽産業会が「苹果要覧」を出版して栽培出荷販売等の指導に当たる。
24年(1891) 上野、弘前間鉄道開通。
27年(1894) 京都博覧会で受賞者を出し「青森りんご」の評価高まる。青森、弘前間鉄道開通。
32年(1899) 青森の果実商堀内喜代治、ロシア領ウラジオストック港へ直輸出。
33年(1900) モニリア病大発生、中郡清水村(現在弘前市清水)で皆無作。
34年(1901) りんご酒醸造販売。
35年(1902) 綿虫、シンクイ虫、腐らん病等病害虫発生。明治初期の栽植樹、病害虫のため伐採。
36年(1903) 県農事試験場に害虫係が設けられ、りんご害虫の試験が開始。
38年(1905) りんご袋掛けが始められ、恐慌を切り抜け、再び増殖時代に入る。
39年(1906) 津軽林檎輸出組合設立。上海に直輸出。
40年(1907) 産業組合法によるりんご生産購買販売組合が設立、後年のりんご販路拡張の基礎となる。
41年(1908) 青森、神戸間でりんごの冷蔵貨車輸送試験を実施。津軽を中心にモニリア病が大発生。
44年(1911) 県農事試験場に病理部設立。販路拡張費補助規程設定、海外輸出者に県が補助奨励。
年次 歴史的事項
大正2年(1913) 県農事試験場の三浦道哉がりんご病原菌を検出し、ボルドー液散布の普及に努めた。
5年(1916) 東北農科大学(現、北海道大学)から県農事試験場に、島善鄰が赴任し、苹果減収の原因究明に取組む。
6年(1917) 明治43年から大正6年まで第2期生産恐慌、廃園2,000ヘクタール。
県農事試験場に苹果部を創設。
7年(1918) 第2期生産恐慌時代からようやく回復。
県農事試験場苹果部に初めてりんご専門の試験圃場(3.5ヘクタール)が開設。
10年(1921) 津軽林檎同業組合設立。主要都市に荷受機関と運送店を指定。
本県りんご栽培指導者農林技師島善鄰を4月欧米に派遣。
14年(1925) 生産過剰から価格暴落。
15年(1926) 青森県農事試験場苹果部を園芸部と改称。
県内のりんご出荷組合をもって青森県りんご生産同業組合を設立。また商人の団体として重要物産同業法の規定により青森県りんご移出同業組合が設立され、8支部を設け、りんご自治検査実施。
年次 歴史的事項
昭和2年(1927) 県議会において県営検査と販売改善施設を急速にこなすべき旨の意見書が満場一致で可決。
3年(1928) 県に設置の産業調査会で、県営検査の実施をなすべき旨を決議答申。
4年(1929) 8月1日から県営検査を実施したが、組織、方法等が既定予算の範囲内では困難であったことと、経済情勢やその他複雑な事情からわずか19日で廃止(第1次県営調査)。
板柳町に県農事試験場害虫研究所が開設。
6年(1931) 4月1日、青森県農事試験場から園芸部を分離、青森県苹果試験場(現、青森県りんご試験場、庁舎は現、りんご史料館)として発足。
10月4日、太平洋横断飛行、“ミス・ビードル号”淋代を出発。5日、ウェナッチに到着、のちリチャードデリシャスをもたらす契機となる。
8年(1933) 4月1日から県営検査を復活実施。
10年(1935) 青森県物産紹介所開所。
12年(1937) 県に特産課設置。青森りんご振興委員会設置。南郡藤崎町に農林省園芸試験場東北支場設置。
13年(1938) 東京、大阪、名古屋、下関に県物産紹介出張所設置。県内関係団体をもって青森県苹果輸出協会設立。三戸郡名久井村(現在名川町)に県農事試験場県南分場開設、北郡金木町にりんご経営農場設置。公認選果員制度を設置。
14年(1939) 上海に物産紹介出張所設置。
15年(1940) 移出1,000万箱突破、輸出100万箱。
16年(1941) 日華事変のため国は青果物配給統制規則を制定。
物産紹介出張所を廃止し、青森、大阪、名古屋、下関のほか札幌に県事務所を設置。
上海出張所を県りんご輸出調査所と改称。
17年(1942) 特産課廃止、県事務所、輸送調査所を廃止。
20年(1945) モニリア病、尺取虫大発生、生産量300万箱以下。8月、終戦により生産回復のため復興策講ずる。
11月、国及び県青果物配給統制規則廃止。
21年(1946) 4月、再び国が青果物等統制令公布、県は7月青果物配給統制規則制定。
青森県りんご協会が設立。
県財政難のためりんご税を9月1日から1箱につき4円(付加税とも)賦課。
22年(1947) 4月1日からりんご税1箱20円(付加税とも)賦課。青森県りんご輸送対策協議会設立。
8月10日、天皇陛下県内御巡幸。八戸・青森・浪岡・黒石(苹果試験場)・弘前など御視察。
23年(1948) 県経済部にりんご課設置。東京、大阪、門司に青森県事務所設置。青森県林檎振興株式会社設立。りんご税1箱40円(付加税とも)賦課。青森県りんご検査所独立。
24年(1949) りんご税をりんご引取税と改称し、1箱につき県税15円、市町村付加税15円の計30円を賦課。ひょう害、台風の被害甚大。
25年(1950) りんご取引税全廃。青森鉄道管理部廃止。
青森県苹果試験場を青森県りんご試験場に改称。
26年(1951) 花芽不足による4分作、推定実収高891万箱。
27年(1952) 不作に対する営農資金1億1千万円農林中金より融資。生産量2,000万箱突破。
青森県りんご輸出協会設立。
28年(1953) 6月1日、りんご振興審議会設置。青森県りんご検査所及び同検査支所が地方りんご事務所に改組。
29年(1954) りんご赤星病蔓延、ビヤクシン類2,000本伐採。台風15号により449万箱落果。
30年(1955) 9月、県りんご協会主催でりんご栽培80周年記念行事としてりんご祭挙行。
開花中の不順天候によりモニリア病大発生し、生産量932万箱と昭和26年に次ぐ不作。
31年(1956) 世界作物防疫国際会議(イギリス)に県りんご試験場長木村甚弥出席。関係機関をもって「県りんご安定生産運動」を組織。りんご栽培史上未曾有の2,900万箱の大豊作。
32年(1957) 前年に続き2,716万箱の生産高。しかし販売面で産地高、市況不振を招く。
青森県りんご加工協会設立。
33年(1958) りんご事務所を統廃合し、16りんご指導所と1駐在所設置。弘前大学農学部にりんご総合研究所設置。8月11~12日の豪雨で河川氾濫し、りんご園冠水702ヘクタール、被害2億4千万円。
34年(1959) 斑点性落葉病各地に発生。推定実収高史上最高の2,971万箱。
35年(1960) りんご栽培面積を航空写真により調査した結果25,500ヘクタールと判明。
柏村にある日本最古のりんご樹(紅絞2本、祝1本)が青森県天然記念物に指定。
36年(1961) 果樹農業の振興を図るため国は「果樹農業振興特別措置法」を制定。県りんご試験場南部試験地が4月1日から南部支場に昇格。7月1日、香港に駐在員を派遣。
37年(1962) 第1回全国農業祭の園芸部門で、県りんご協会石川支部冷水組が天皇杯受賞。
38年(1963) 「青森県りんご産業振興の基本方針」について意見を求めるため、青森県りんご産業協議会を4月~9月まで開催。県の機構改革により、りんご指導所を地方農林事務所に吸収。県りんご生産高は史上最高の3,437万箱。
バナナの輸入自由化により、りんごの売行きに大きな影響を及ぼす。
11月、県庁正面玄関左側芝生に国光、スターキング、陸奥、紅玉、恵を植栽。
39年(1964) 日本で最初の農協共同による大規模C・A貯蔵庫完成(弘前市)。生産者団体の整備の第1歩として青森県りんご生産出荷組合連合会が県経済連に統合。みかんの大豊作により国光の販売危機を誘発。
5月、弘前市常盤坂において第1回りんご花祭りを開催。
40年(1965) 天候不順に対処し、人口授粉の徹底を期するため、中学生、高校生、自衛隊員の協力を要請。
県りんご産業振興方策についての意見を求めるため「青森りんご産業振興懇談会」を開催し、20年後の品種構成を主体とした長期計画書を作成。
傾斜地りんご園の栽培技術体系の確立を図るため、南郡平賀町唐竹字水上に「青森県りんご総合実験農場」を設置。
台風23号(9月10~11日)24号(9月17~18日)により史上最高の約590万箱落果。
41年(1966) 3月、昭和36年派遣の香港駐在員を廃止。
未曾有の産地高とみかん大豊作のため市場価格が暴落し、出荷不振を招く。
生産量前年比76%の2,408万8千箱と不作。天災融資法を発動。
42年(1967) 3月、県りんご輸出共販協同組合誕生し、りんご輸出の窓口が一本化。
7月、果樹保険臨時措置法成立し、りんごの災害救済に初めての立法措置。
9月下旬から10月上旬にかけて県南地域において約85万7千箱が異常落果。
43年(1968) みかん、苺の大増産、バナナ輸入増等消費者の嗜好の変化等により、紅玉、国光小玉の暴落となり、山や川に大量投棄されたので、俗にこれを「山川市場」と称した。このため、不況打開の根本対策として品種更新が急速に促進。
10月、県りんご試験場新庁舎落成。
44年(1969) 8月、八戸市、上北町、倉石村などにおいて388本のりんご樹に黒星病が発生し、国の特殊病害虫緊急防除事業等によりまん延防止に努める。
45年(1970) 4月、青森県りんご試験場南部支場が青森県農業試験場園芸支場に組織換え。
7月、県検査条例を廃止、これに代わって「青森県りんご県外出荷規格条例」を制定、自主格付制度が発足。
46年(1971) 昭和31年から実施の「りんご安定生産運動」を「りんご生産体質改善運動」と改称。
りんご試験場が南郡藤崎町に6.7ヘクタールの繁殖圃場を購入し、わい性台木の生産を開始し、わい化栽培の推進に踏み出す。
りんごの加工需要の拡大をはかるため、りんご冷凍濃縮果汁を主製品とする大規模加工場建設が国、県の補助及び農協の共同出資により2か年計画で着工。
北欧市場のスウェーデン、ノルウェー、西ドイツの3国に対し、りんごの実験輸出を実施。
6月ガット(関税及び貿易に関する一般協定)により、りんご生果の輸入が自由化される。
47年(1972) 4月1日、青森県畑作園芸試験場を独立して五戸町に新設し、果樹部にりんご科を置く。
りんご黒星病が大発生。県下38市町村、285地域におよび、県と各市町村に「りんご黒星病防除緊急対策本部」を設置し全県的な防除対策を展開。
沖縄返還決定(5月15日)に伴う県行政組織規則の改正により6月24日沖縄県が県九州事務所の所管区域となる。 10月7日、全国的に例のない「青森県りんご黒星病及びりんご腐らん病まん延防止条例」が公布され、11月1日(一部は公布の日)から施行。
48年(1973) 石油不足に関連してりんごの輸送力確保に困難をきたしている現状に対処し、計画出荷推進のため1月7日「青森県りんご緊急輸送対策本部」を設置。
前年大発生した黒星病と、発生増加の傾向にある腐らん病のまん延定着を防止し撲滅を図るため4月「青森県りんご黒星病、腐らん病防除対策本部」を設置。
6月中旬以降、県下全域に発生した斑点落葉病は、り病葉率41%以上の面積が7,532ヘクタールに及び、防除を徹底するため、前記対策本部を7月「青森 県りんご三病防除対策本部」と改称し、農薬費補助金3億680万円を交付。りんごわい化栽培による高性能機械化技術体系を実証し、普及の拠点とするため、 りんごわい化栽培モデル園を弘前市、三戸町の2か所に設置。
49年(1974) 昭和20年に次ぐ大雪でりんご園約5,000ヘクタールが被害。また、前年4月~6月の異常千ばつの影響でデリシャス系を中心に約5,300ヘクタールが花不足に見舞われ、県は減収70%以上の園地を対象に薬剤費20%を助成。
無袋ふじ推進のため、生産者団体等による「青森県サンふじ推進協議会」を発足。
本県にりんごが植栽されて百年目にあたり、9月3日弘前市民会館に県内外から関係者1,500人を招き、青森県りんご百年記念式典を挙行。
県南地方を中心に腐らん病がまん延し、県内で4,875ヘクタールに発生、総面積の19.5%に及んだ。防除の試験研究の促進を図るため、各界の専門家に よる現地検討会を開催。りんごの生産から流通まで一貫した体制の広域団地を育成するため、「大規模果樹生産流通基地整備事業」を実施。
50年(1975) 青森県りんご百年記念碑を県庁構内に建立し、9月17日、県内外から関係者約300名を招いて除幕式を挙行、同時にりんご百年記念展を開催するとともに、りんご百年記念切手及び記念たばこを発売。
りんご果汁の需給がひっ迫し中央ボトラーの要請で、非自由化品目であるりんご果汁1,100トンがはじめて緊急輸入された。また、10月、県内加工企業が 北朝鮮から加工用りんご1万トンを輸入しようとしたが、害虫コドリンガの侵入を恐れた県内生産者8団体が結束して阻止運動を展開した。結局加工用りんごを 1,114トン輸入。
11月、加工用原料りんごの需給の円滑な推進を図るため「青森県加工用原料りんご需要安定対策協議会」を設置。
11月28日、昭和5年に青森県りんご試験場で交付された「青り2号」が45年ぶりに「つがる」で名称登録。同試験場では、陸奥、恵、王鈴に続いて4番目の登録。
4月下旬の県南地方の霜害(3,581ヘクタール、7億7千万円)に始まり三度(5月、6月、7月)にわたる津軽地方のひょう害、8月の二度の水害、11月の強風被害の発生により被害額は約22億円。
腐らん病の防除対策として「腐らん病緊急防除対策事業」を実施。
51年(1976) 県の機構改革により県下6つのりんご出張所(板柳、岩木、大鰐、黒石、浪岡、南部)が廃止、それぞれ管内農林事務所(北、中南、三戸)に統合。四 度にわたる津軽地方の雪害(2,236ヘクタール、18億8千万円)、五度にわたる強風被害(64億4千万円)、さらに異常気象(低温、日照不足、千ばつ 等)により、合計被害額約104億円。
腐らん病の発生面積8,200ヘクタール、総栽培面積の約1/3に相当。
52年(1977) 津軽地方を中心に32年ぶりの豪雪、被害額18億94万円、被害面積2,825ヘクタール。
腐らん病防除の一環として、泥巻法が普及し、被害面積7,099ヘクタールのうち46.6%(3,311ヘクタール)で実施。 りんご販売は、消費地における暖秋、暖冬及び不況に伴う消費力の鈍化等により、極めて不振な状態が続き、県内消費拡大等の諸対策を実施。
「陸奥」・「つがる」の両品種を生み育てた県りんご育種グループが日本育種学会及び日本顕彰会の賞を受賞。
「青森県りんご百年史」発刊。
第32回国民体育大会「あすなろ国体」秋期大会開会式前日、天皇陛下がりんご試験場を御視察。
第13回全国身体障害者スポーツ大会開会式前日皇太子殿下、美智子妃殿下県庁内りんごを御収穫。
53年(1978) 6月上旬から中旬にかけて異常天候のため、デリシャス系を中心に異常落果が発生、被害数量は、品質低下も含めて約115,000トン(719万2千箱)被害額122億円。8月18日、“天災融資法”適用。県は、国庫助成による「りんご病害虫緊急防除対策事業」を実施。
54年(1979) 人工受粉実施率(79.3%)過去最高。10月19~20日の台風20号により県下全域で被害発生。被害面積16,364ヘクタール、被害数量446万7千箱、被害金額67億3千万円。
県りんご試験場で育成した新品種メク9号(つがる×祝)に北村知事が「北の幸」と命名し、国に品種登録を申請。
55年(1980) 1月、アラブ首長国連邦のドバイへ1万5千箱初輸出。
生産量約3,000万箱と史上3番目の豊作。
10月23日、りんごを通じて本県と交流のあったブラジル連邦共和国のサンタカタリーナ州との友好関係を促進するため、県州友好関係成立宣言に調印。
56年(1981) 3月に青森県果樹農業振興計画を公表。昭和65年度(1990)のりんご栽培面積を25,800ヘクタール、生産目標を540,000トンとする。
昭和34年に青森県りんご試験場で交配したメク9号(つがる×祝)が、5月27日「北の幸」として品種登録。
9月9~10日、八戸市を主会場に第29回全国りんご研究大会が開催。
6月と10月、津軽地方を中心に二度にわたるひょう害、被害面積3,187ヘクタール、被害数量13,260トン、被害金額20億5千万円。8月23日、 台風15号により県下全域にわたって被害発生。被害面積を23,890ヘクタール(96%)、被害数量70,900トン、被害金額131億7千万円。
10月12日、青森県りんご試験場は県内外関係者約500名を招き創立50周年記念式典を開催。
57年(1982) 生産量でふじがデリシャス系をぬき、初めてトップとなる。デリシャス系は、これまで主力品種としての地位を保ってきたが、単一品種としての生産過剰等から市場価格が低迷し、昭和43年の国光、紅玉に引き続き、再び品種更新の必要性が高まる。
高接病防止のため、県りんご試験場でコホクカイドウによる高接病ウイルスの検定を実施。
58年(1983) りんご加工品の消費拡大を図るため、県内加工会社が団結し、青森県りんご加工品共販共同組合を設立。
2月24日、青森県りんご試験場で育成した夏緑(きたかみ×メク10)、北斗(ふじ×陸奥)が種苗法に基づき品種登録。
全国のりんご生産量が104万8千トンと12年ぶりに100万トンを突破。
全国的な供給過剰により、市場価格が低迷し、年明け後もなおこの状態が続き危機感が強まる。
59年(1984) 津軽地方を中心に記録的な豪雪。被害額35億5,600万円、被害面積3,783ヘクタール。
生産量は390,400トンと昭和30年以来の不作。
本県りんご園の現状を踏まえ「りんご園若返り対策推進事業」を昭和65年度(1990)までを第1期とし開始。
60年(1985) 本県りんご生産の増強対策を図るため、重要な技術である「りんご剪定士養成事業」を3か年計画で開始。
9月1日、台風13号により県内全域で被害発生、被害面積24,900ヘクタール(95%)、被害数量111,660トン、被害金額159億8,877万 円。“天災融資法”適用。県は落果りんごの集出荷及び加工製品の保管に対して助成を行う「落果りんご緊急加工対策事業」を実施。
61年(1986) りんご生産対策の効果的推進を図るため「りんご園実態調査事業」を3か年計画で開始。
本県産「北斗」が出荷、生産量約20トン。
4月、機構改革により、県九州事務所が県大阪事務所北九州駐在となる。
62年(1987) 1~4月、県内加工企業がアメリカ産凍結りんご(グラニースミス)1,710トンを輸入。
5月6日、異常低温により県内全域で凍霜害発生、被害面積7,355ヘクタール。
9月1日、台風12号から変わった低気圧の強風により県内全域で落果被害、被害面積20,437ヘクタール、被害金額90億4,550万円。“天災融資法”適用。県は「落果りんご緊急加工対策事業」を実施。
63年(1988) 2月2日、政府はりんご果汁を含む農産物10品の輸入自由化に関するガット勧告を受諾。
7月、平成2年4月からりんご果汁輸入自由化決定。また6月にオレンジ(平成3年4月)とオレンジ果汁(平成4年4月)もそれぞれ輸入自由化決定。
7月、「青森県りんご腐らん病撲滅生産者大会」開催。
年次 歴史的事項
平成元年(1989) 1月、東南アジア諸国向輸出拡大のため市場調査実施(香港、シンガポール、マレーシア、タイ、インドネシア、台湾) 9月7~8日「第37回全国りんご研究大会」を弘前市を主会場に開催。
2年(1990) 元年産りんごの販売額が1,093億円と初めて1,000億円の大台を突破。
3年(1991) 9月28日、台風19号は青森市で観測史上最高の最大瞬間風速53.9m/sを記録し県内全域で被害発生、被害面積22,400ヘクタール(90%)、被害数量38万8,000トンの被害金額741億7千万円。
本県りんご栽培史上最大の被害を受けた。“天災融資法”の発動及び激甚災害法の適用。
県は、「園地再生特別緊急対策事業及び落果りんご対策事業」等を実施。
4年(1992) 平成3年の台風19号被害にもかかわらず、被災園の復旧が全国からの温かい支援と生産者を始め関係団体等の懸命な努力により予想以上に進み、平年並の483,800トンの収穫量を確保。
台風被害に際し、全国からいただいた支援に感謝するため、5月9日黒石市(県りんご試験場)において台風19号全国支援感謝大会を開催し、後世にわたって記憶に止めるため試験場内に「青森県りんご全国支援感謝メモリアルガーデン」を設置。
5年(1993) 6月、これまで植物防疫上の理由により輸入が禁止されていたニュージーランド産りんごの輸入が解禁される。
12月、県産りんごがニュージーランドに初輸出。(ふじ:1.5t、陸奥:1t、王林:1t、金星:0.5t)
6年(1994) 6月、ニュージーランド産りんごが初上陸。(6月の実績235.1t:ロイヤルガラ91.4t、ふじ91.2t、レッドデリシャス30.4t、グラニースミス20.6t、ブレイバーン1.5t)
8月、生産量世界有数のアメリカ産りんごが輸入解禁。
7年(1995) 1月、アメリカ産りんご初上陸。(6年の実績9,124t:レッドデリシャス8,336t、ゴールデンデリシャス788t)
1月、県産りんごがアメリカに初輸出。(ふじ:15t)
県では、平成7年度を「りんご園地若返り元年」と位置付け、高率の補助事業がスタート。これにより、264ヘクタールの改植、35,100メートルの防風網整備等が図られた。
9月2日、弘前市民会館に県内外から関係者1,500人を招き、青森県りんご120周年記念式典を挙行。
8年(1996) 9月5~6日「第44回全国りんご研究大会」を弘前市を主会場に開催。
りんご協会が「女性栽培技術者養成事業」を開始。
8月、第1回目の知事と女性のりんごトークを弘前市で開催。
9年(1997) 2月「青森県果樹農業振興計画」を公表。平成17年度(2005年)のりんご栽培面積を23,200ヘクタール、生産目標を520,000トンとする。
4月、福岡市に「青森県福岡情報センター」を開設。りんごをはじめとする県産品の販路拡大、観光客誘致等本県の総合情報発信拠点として活動開始。
北海道、名古屋、大阪の各県外事務所も「情報センター」に改称(東京事務所を除く)。
10月、フランス産りんご(ゴールデンデリシャス)が輸入解禁され、12月に商業ベースで約12トン初輸入。
10年(1998) 1月、青森りんごの輸出促進を図るため、台湾(団長・知事)及び、タイ(団長・副知事)へ青森りんごミッションをはじめて派遣。
6月、9年産りんごの価格低落に対応するため、「りんご再生産確保緊急支援資金利子補給事業」を創設。
7月、文化観光立県宣言記念式典に、アセアン5か国(インドネシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナム)の大使等を招へい。
12月、オーストラリアタスマニア州産りんご(ふじ)が輸入解禁された。
11年(1999) 2月、台湾(団長・知事)、香港(団長・出納長)へ青森りんごミッションを派遣。
4月、青森県単独で「生食用りんご価格安定事業」創設。初年度として97,000トンを対象。
6月、オーストラリアタスマニア州産りんご商業ベースで110トン輸入。
7月、アメリカ産りんご5品種(ふじ・ガラ・グラニースミス・ジョナゴールド・ブレイバーン)追加輸入解禁。
12月にガラ119t、翌年2~3月にふじ52t輸入。
12月5日「青森りんご21世紀への誓い」を弘前市で開催。
12年(2000) 1月、タイ、マレーシアに対し、輸入拡大を要請。
5月24日「りんごの花を讃えるつどい」を弘前市で開催。
7月26日、ふじ発祥の地・藤崎町で「ふじ生誕60周年感謝祭」を挙行。
13年(2001) 1月、香港、台湾に対し、輸入拡大を要請。
3月、「21世紀青森りんご行動計画」策定。
2001年を「りんご元年」と位置づけ、りんご王国青森県のさらなる飛躍を目指す。
3月、「青森県果樹農業振興計画」策定。
平成22年のりんご栽培面積23,000ヘクタール、生産目標500,000トンとする。
4月、国の「果樹経営安定制度」が発足。県の「生食用りんご価格安定事業」から移行。加入数量は120,820トン。
9月22~23日、「2001年りんご元年の集い」を弘前市で開催。
りんごの日を11月5日とし、名称を「いいりんごの日」とすることを発表。
14年(2002) 1月、台湾に対し、輸入拡大を要請。
4月、りんごの開花日が黒石で王林とジョナゴールドが過去最早記録し、それぞれ4月22日、4月23日となり、ふじ、つがる、陸奥は過去最早と並ぶ4月24日であった。五戸では、王林が4月23日、ジョナゴールド、紅玉が4月25日と、いずれも過去最早を記録。
15年(2003) 6月、14年産りんごの価格低迷により経営安定制度2年続きで補填発動。 補てん金32億3千万円交付。
9月13日~14日、台風14号により津軽地域を中心に被害面積17,444ヘクタール、被害額72億9千万円。
16年(2004) 1月、台湾へ青森りんごミッションを派遣。
6月、上海への青森りんご輸出調査。
台風15号、16号、18号、21号、22号の接近や上陸に伴い9万3千トンの落果と1万本の樹木損傷、被害金額155億8千万円。
17年(2005) 豪雪により樹木損傷118億円の被害。愛知万博開催。
8月、アメリカ産りんご検疫措置緩和。(火傷病、指定園地制度や果実殺菌を廃止し果実の成熟検査のみ)
9月、弘前市を主会場に52回全国りんご研究大会開催。
18年(2006) 2月、台湾政府はモモシンクイガについて新たな検疫措置(生産者登録、選果場登録(73ヶ所)、モモシンクイガ発見時の輸入禁止等)スタート。
3月、青森県果樹農業振興計画策定。青森りんごグランドデザイン構想を作成し、「日本一の高級りんご生産で販売額1億円の復活!」を提唱。
豪雪により2年連続の被害(30億円)
5月、ポジティブリスト制度施行。
7月、タスマニア産りんご輸入解禁品種が全品種に拡大。
9月、新たにりんご経営安定対策のあり方について、青森県りんご経営安定対策検討委員会の神田建策座長(弘大農業生命科学部教授)より知事に需給調整事業と経営安定対策の2段階制度の創設を提言。
19年(2007) 暖冬少雪。青森地方気象台は58年ぶり2月中の積雪ゼロを発表。
4月、国は、果実需給調整・経営安定対策事業を果樹経営支援対策に移行。
4月、県は、独自にりんご経営安定対策事業を創設。
7月、ニュージーランド産りんごの検疫措置をアメリカ産並みに緩和。
10月、県は、放任園対策会議を開催。
台湾を中心とした18年産りんご輸出量は過去最高となる。
18年産りんごの販売額911億円を達成。
20年(2008) 4月中旬から5月中旬に降霜、5月26日、6月13日、9月26日に県内広範囲に降ひょうがあり、被害面積延べ12,726ヘクタール、被害額103億2千万円となる。ひょう害としては過去最大の規模。
台湾向け19年産りんご輸出量は17年産を超え、過去最高を更新。
20年産りんごの販売苦戦。価格低迷続く。
県及び関係団体一体による、霜害・ひょう害りんごの販売対策を実施。
21年(2009) 1月、県及び関係団体は、りんご緊急需要調整対策を初めて発動。生食用りんご8,500トンを市場隔離し加工に仕向けることを決定。この他、出荷団体が1,500トンを目標に福祉施設、学校へ寄贈。
1月、台湾向け輸出りんごから台湾で残留基準のない農薬成分が検出され、陸揚げできず。
4月、「りんご試験場」が「地方独立行政法人青森県産業技術センターりんご研究所」に改称。
6月、本県りんごの平成20年9月から平成21年5月の消費地市場価格がりんご経営安定対策の発動基準価格となる222円/kgを下回ったため、初めてりんご経営安定対策補てん金交付。
2年連続の価格低迷で、農林水産省が11月にりんご初の「緊急需要調整特別対策事業」を発動。調整対象は1,130トン。
「ふじ」に2年連続でつる割れ果が多発。
平成20年産の本県りんご10アール当たり収穫量が昭和38年以降で最高の2,360kg。
22年(2010) 4月、青森県産りんごとして販売しているものに秋田県産りんごが混在していることが判明し、県が関係事業者等に是正を指示、指導。
真夏日が35(りんご研究所調べ)、6〜8月の平均気温23.6度は過去80年間で最も高い記録。早生の「つがる」等で着色不良。
10月、りんご生産・流通・販売団体がはじめて無袋ふじの収穫日や都内の中央卸売市場への初上場日を申し合わせ、協同歩調による販売対策を実施。
夏場は異常高温の影響により、強豪果物等の市場出荷が減少し、県産りんごは早生種の「つがる」から高価格で推移。
国産りんごの12月累計輸出量が台湾におけるチリ産の台頭や円高などで、過去3カ年平均数量の66%に留まる。
11月、ふじ70週年で藤崎町の弘前大学能楽姓名科学部付属生物共生教育研究センター藤崎農場内に「ふじのふるさと記念広場」が開園。
23年(2011) 3月11日「東北地方太平洋沖自身(M9.0)」
津波による東京電力福島第1原発の放射能漏れ事故等により未會有の大被害。原発事故後、放射性物質による消費者の食への不安が大きな社会問題になり、全国的に食品モニタリングが実施された。
5月、原発事故の風評被害により台湾への輸出りんごの数量が0に。
7月1日〜8月15日の降雨量が過去最低、9月の降雨量が過去最高を記録。(りんご研究所調べ)
花芽不足や生理障害などで収穫が減少し、県産りんごの販売価格が高騰。
24年(2012) 平成24年大雪によって、津軽地域でのりんご園地で、平成17年以来の被害が発生した。
平成23年産りんごの収穫量が減少したことから、平成23年10月以降販売価格が高騰を続け、平成ではりんご台風のあった平成3年産に次ぐ記録的な価格となった。
25年(2013) 2年続きの記録的な豪雪で、津軽地域では平成24年豪雪並みの被害が発生した。
7月25日開催した「りんご黄色品種の生産流通販売対策会議」を皮切りに昨年不評だった「トキ」をはじめとする黄色品種の品質向上に向け、りんご関係者が一致団結して取組んだ結果、本年産「トキ」は好評化となり、本県産黄色品種の信頼回復の第1歩となった。
台風第18合による9月15日から16日にかけての大雨で岩木川及び馬淵川流域のりんご園地555haに樹冠浸水が発生。被害額が12億4,200万円に達し、被害面積、金額とも水害としては過去最大規模となった。
26年(2014) 7月、青森市を主会場に第58回全国りんご研究大会開催。
9月25日、天皇・皇后両陛下がりんご研究所と浅瀬石地区りんご園を訪問。
平成25年産りんごの販売額が、6年ぶりに900億円超えを達成。(903億円)
27年(2015) 7月28日、弘前市で青森りんご植栽140周年記念式典を開催。
9月17日、ベトナムへの日本産りんご生果実の輸出が解禁。
10月5日、環太平洋連携協定(TPP)が、参加12カ国の閣僚会議で大筋合意。りんごは生果が11年目に、果汁は8〜11年目までに段階的に関税が廃止されることになった。
平成26年産りんごの販売額が、16年ぶりに1千億円の大台超えを達成。(1,037億円)
平成26年産国際りんごの輸出量が初めて3万トンを突破。(30,115トン)
 
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